ファイトクラブ

なんとなくレンタルするのが億劫で先延ばしにしていたんですけど、春休みで暇だったこともあってついに観ました。

すばひびにインスピレーションを与えたことを知っていたので、多重人格の可能性を踏まえて観てましたが、それを示唆するシーンが存外に多かったです。

それと、台詞の言い回しが秀逸でこのことも影響を与え、引用されたりする要因なのかなと思いました。「北欧家具の奴隷」とか「コピーのコピー……」とかキャッチーで好きです。

内容はどうかというと消費社会や男性性に対する批評性があって、そこはよかったのですが、爆破テロとかの暴走のくだりはよくわからないです。

たとえ疲弊の要因が消費社会にあるとしても、その象徴を破壊すれば万事よくなるみたいな発想は幼稚すぎませんか。有害な男性性のメタファーだとしてもあまり腑に落ちません。

それとラストのシーンも特に何の感想もないというか、なんとなくエモいだけで何も解決してないですよね。

登場人物に対する激しい共感や求めていた物語に出会えたときの痺れはなかったですけどそれなりに楽しめました。

三角関数とか古文のあれ

三角関数や古文の授業がいるかどうかという議論がtwitterではたびたび起きている。

このことについての議論はされつくしているだろうし、今更何か新しいことを言うのも難しいだろう。私自身、教育の関係者ではなく何か具体的なことを語ろうとしても的外れになってしまうだろう。

ただ、ぼんやりと思うのは、あらゆることは自殺の延期につながる可能性があり、三角関数や古文だってその対象になっているのではないかということだ。

「一冊の本は、延期された自殺だ」というシオランの発言があるが、このセンテンスは非常に使い勝手がよく、本を他の言葉に変えても十分に意味を持つと思う。

もっとも、定型文の一部を変えて何事かを言った気になってもしょうがないなぁ。